2012/04/08

12.04.07 Liam Gillick 'Agreements, McNamara and Lead Times'

なにやらこの1,2週間の間僕のTimelineにリアム・ギリックという名前が急にbuzzった。例によって初めて聞く名前だが、もう「え、知らないの?」というぐらいの勢いで話題が飛び交っている。「知らない」ということに関する耐性はこの1年でかなり身に着けたと思う。(もともと別に知らないということを恥だとか格好悪いと思っていない。ただ、「それなに?」と訊ねた時の聞かれた側の反応を読む / 読まないのが面倒なのだ)

少しインターネット先生に聞いてみたりしても、どうも作家像がピンとこない。ちょうど今日がTARO NASUで行われている展示の最終日ということでもあったので、Talk Eventの終わった後頑張って足を延ばしてみた。

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昭和の雰囲気が思い切り残る神田のオフィス街の一角に妙にそぐわないモダンなビルの地下に展示されていたリアム・ギリックの作品はインスタレーション3点と、ビデオ作品を映している小型アナログTV(ブラウン管!)とそのTVが置かれたテーブル、そして映像作品のシナリオの3つからなるmixed mediaのインスタレーションの計4点。

その前のTalk Eventでモデレーターを務めたAITの小澤慶介さんが少し経ってギャラリーにいらっしゃってギャラリーのスタッフの方から説明をしていただくのに便乗する。

ここでまたもや二コラ・ブリオの『関係性の美学』である。アマゾン君によると僕はこの本を2011/11/11に注文している。もちろんとっくに届いて手元にある。MADの講義のごく最初の頃から何度も言及されている書籍であり、現代アートを“語る”文脈上避けて通れないボス・キャラのような存在だ。

もちろんまだ1ページも読んでいない。

説明を聞かないとわからない = 説明を聞くとわかる、なのだろうか? ということは「説明」も作品の一部なのか。「わかる」とは何がわかったことになるのだろうか? 言説化された作品は「作品」そのものの一部なのかその外側を覆うものなのか。

もやもやは増すばかりである。

今回の展示は「個人使用の範囲であれば」撮影可能だった。これは素晴らしいことである。大きく書いておきたい。

展示の様子

関連資料

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