2013/09/02

13.09.02 新国立美術館 アンドレアス・グルスキー展

話題のアンドレアス・グルスキー展に行った。


思ったよりも展示作品数が多く、それゆえ彼の技巧的特徴が何度も繰り返されることでだんだん目が慣れてしまい飽きてしまった。
見る側が飽きるぐらいだから作る側も飽きるのではないか。最近の連作「バンコック」にはそれまでと異なる作風が感じられる。

展示自体にはいくつか疑問を覚えた。まず作品の展示の順序。主催側は、
展示会場は、初期から今日までを回顧する年代順ではなく、独自の方法にしたがって構成されます。 初期作品と新作、そして、大小さまざまな写真を並置する斬新な展示は、個々の写真を際立たせるとともに、展示室全体を一つの完璧な作品のようにも見せることでしょう。この比類のない展示により、グルスキーの写真世界の魅力を余すところなくご紹介します
と気張っているが、作品リストが年代順に記載されているために見ずらいことこの上ない。特に「独自」でも「斬新」でもないように思えるのだが。
また、展示室の照明が強すぎて映り込みが激しい。こういったところにこそ配慮が欲しい。
動線もわかりづらいことと重なってなんだか作品に却って入り込みずらい展示になっている。もっともグルスキーの作品はそういった「入り込み」を端から遮断するようかのようにレタッチされた質感とその精緻な繰り返しで誰もが見ているが誰にも見えない画面を構築している。
スペクタクルと呼んでもいいようなその独特な質感は確かに現実と非現実の間を漂わせるような視覚効果を持っている。だからこそ、展示の仕方は古典的な回顧型でよかったように思う。彼の手法や主題の変化が鑑賞にリズムを与えるのではないかと思えるのだ。
考えさせるのは大型作品で縦長のプロポーションが多いことの意図だ。基本的に「風景」を構築しているグルスキーの作品なので横長の構図の方が親和性があるように思えるのだが足を止めて見入るのは縦長の構図の作品が多かったように思う。
どうでもいいことのようだが「ライン川 II」が想像していたよりもはるかに小さい作品だったことに驚かされた。なんとなく「99¢」のように大きな作品だと思い込んでいたのだ。
対象を見る視線の量が彼の作品の大きさに関係するような、なんとなく不思議な想いがした。

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