2012/04/07

12.04.07 Art at SUNDAY「アートを仕事にするために!」

三宿にあるSUNDAYで行われた表題のトーク・イベントに参加した。直前に行われた「アートフェア東京 2012」のAITブースでフライヤーを配ったことが奏功したとのことでMADのクラスでお見かけした顔は殆どいらっしゃらず、改めて「現代アート」に関して幅広い層から高い関心が集まっていることを実感する。

トーク中のメモ (30分遅刻したため頭一部欠けています)

トーク中の様子

 

配布物

関連リンク

2012/04/04

2012.04.04 「ひっくりかえる」展

American Corporate Flag

American Corporate Flag (Photo credit: Wikipedia)

所用を済ませた後、Facebookをふと見てみると知人が同展にチェックインしているのに気がつき、図々しく押しかける。

Chim↑Pomの作品を見るのは初めてだ。話題先行というか、現象とでも呼ぶべきbuzzが立ち上がっている状況自体、彼らにとってプラスなのかマイナスなのかはわからない。行動力というか実現力は一角ならぬものがあるように思えるが、同時に展示されていた他の作家の作品と比べるとどうしても“一発芸'”感が拭えない、というのもbuzzに惑わされた偏見なのだろうか。

The Yes MenAdBustersといったMADのレクチャーで教わったEsthetic Activists (?)たちの成果物も展示されており、改めてその発想と実行力に感嘆する。

今回の中で最も個人的にムネアツだったのはJRがフィーチャーされていたことだ。JRのことを最初に見たのがTEDでAwardを受賞した時のプレゼンテーションだったか、PENの写真特集のissueだったか覚えていないがそのどちらかだ。

世界を変える、そのために自分ができること、周りから不可能と思われること、そして実はそれは情熱と信念と(最も大事なことは)シンプルで継続した柔軟な行動によって為し得るのだ。

今回の展示で特筆したいのは撮影が許可されていること。作品を傷めるような過度の照明など用いない限り(鑑賞マナーの面ではなく)コピーライト的に作品の撮影を許可しないという立場には賛同できない。写真を撮ることは実物を見ることとほぼ同義なのだ(従って作品の写真はいわば物理的な個人の記憶であり、いかなる意味でも作品そのものと比する対象とはならない)。

作品の展示方法は作家やギャラリーによってのみ管理され得るという近代的な“所有”の概念に縛られた作品 = 客体的観念に21世紀になっても凝り固まった「現代アート」作家など作品を展示しなければいいのだ。ぷんすか。

Chim↑Pom (一部)
Enhanced by Zemanta

 

 

 

 

 

 

Flyer (front) / (back)

2012/04/01

Art Fair Tokyo 2012

Shuffle II 特別展示で縄文土器佐々木 誠 「八挙須(ヤツカヒゲ)」山下 裕二 氏 (明治学院大学 教授)仏手 (鎌倉時代)仏手 (鎌倉時代)森 淳一 「coma」
縄文土器縄文土器縄文土器 欠片四天王像 吽型四天王像 阿型本堀 雄二 「BUTSU NANZUKA」
本堀 雄二 「BUTSU NANZUKA」本堀 雄二 「BUTSU NANZUKA」神像 (平安時代)佐々木 誠 「祖形 (ヒトガタ)」簾 躑躅図 屏風Exif_JPEG_PICTURE
円山 応挙 「虎図」長沢 芦雪 「美人図」長沢 芦雪 「美人図」佐々木 誠 「祖形 (ヒトガタ)」松井 冬子 「咳」松井 冬子 「咳」
Art Fair Tokyo 2012, a set on Flickr.

12.04.01 Art Fair Tokyo - Shuffle II Guided Tour Report and more…

AITが企画した「アートフェア東京2012 ガイドツアー」ツアーB: 「縄文土器から現代まで 日本今昔アート列伝」(ガイド: 山下裕二 [美術史家 / 明治学院大学教授])に参加した。
アートフェア東京は昨年MADに通い始めた直後に初めてガイドツアーで訪れた。昨年は前職時代に何度も経験した業界系展示会と非常によく似た展示形式と圧倒される画廊 / ギャラリーの数になんだか混乱して(知識が圧倒的に不足していたこともあり)、全く消化不良な体験だった(それはそれでいい経験である)。
今回は二度目ということもあり、また広い展示エリアを練り歩くガイドツアーではなく山下氏がキュレーションした特別展示コーナーである"Shuffle II”内の展示を具体的に説明していただく形式であったため、昨年よりは鑑賞はできたと思う。AITが準備したヘッドセットのおかげで騒然とした国際フォーラムの展示エリア内でも説明が明瞭に聞き取れたのも非常によかった。
説明された内容を可能な限りその場でノートに記していったが、後日読んだ人からは良くわからない、と言われてしまったメモがこれである。
その後、エデュケーショナル・パートナーとして出展していたAITのブースで遠藤一郎さんのライブ・トークを拝聴する。なぜいつも遠藤さんの話を聞くと、「そうだ、その通りだ、それで行こう!」という気分になるのだろうか。まったくもって愉快痛快である。
遠藤さんは4月から美学校で月に一度「未来へ」号バス・ツアーのコースを担当されるそうだ。ぜひ一度乗ってみたい。
Art Fair Tokyo 2012で撮った写真セット
Shuffle IIのパンフレット
Art Fair Tokyo 2012 パンフレット (表)
Art Fair Tokyo 2012 パンフレット (裏)

2012/03/29

12.03.29 清水由紀子展 Reception Party

12.03.26-04.01 清水由紀子展MADの講義を通じて知己を得た写真家清水由紀子さんの個展のレセプションGallery 7で行われたので、MAD受講生仲間で押しかけた。

清水さんの作品について、語ることはとても難しい。大変多才な方で銀塩フィルムからディジタル画像による一見して個性的な美しい描写、また映像作品もCG的なものから既存のイメージのmash-upによるシンボルの反復と強調や対比など実に豊富な文脈を持っておられるからである。

さらに音楽(映像作品のBGMや自身のパフォーマンス)も手がけられており、未見であるが近々予定されているようで大変楽しみだ。

個人的な事だが、清水さんが既に多くの作品を生み出している作家さんだとは全く知らないままMADの講義でいろいろとお話をさせて頂き、その時にちょうど行われていたgalerieHで行われていた彼女の個展を見に行って初めてその作品世界に触れることができた。

彼女の作品には自然(海、水中、空、夜、滝)と時代の経った人工物(寺、庭、古い洋室)などが極めて構成的に写し取られているのだが、同時に常に背筋をひやりとさせるような凄み、あるいはこの世のものならぬような存在の見えないが感じられる“気配”のようなものが潜んでいるような気がするのだ。

MAD 2011で9月に行われた「合宿」で10数名程度でかなり濃密で多層的な政治/社会の統治と美学に関する集中した講義を共に受けたこともあり、今後の清水さんの作品が楽しみであるのと同じぐらい、彼女が抱えている作家世界やアート観について直接お話を伺える機会にもぜひ恵まれたい。

2012/03/28

12.03.28 Movie 世界最古の洞窟壁画 3D 忘れられた夢の記憶 CAVE OF FORGOTTEN DREAMS / JAPANESE

僕が学生時代に教わった人類最古の「美術作品」はラスコーの洞窟壁画だった。これは約15,000年前の旧石器時代に描かれたものだと言われている。

それが1994年に3人の探検家によって倍以上旧い約32,000年前のものと思われる洞窟壁画が発見され、歴史は(いつものように)簡単に書き換えられた。フランス南部アルデシュ県Vallon-Pont-d'Arc にあるその洞窟は発見者の一人の名前を取ってショーヴェ洞窟と名付けられた。

崩れ落ちた岩により密閉された空間は発掘され人間や外気の侵入によって容易にその保存状態を劣化させてしまう。ショーヴェ洞窟も銀行の大金庫のような厳重な扉によって密閉を保たれ、年間を通じてごく限られた期間だけ研究者による調査活動がフランス政府より認められている。

紀元前3万年前はまだネアンデルタール人とクロマニヨン人が併存していたとも言われており、これはまさに「人類」がその最も始祖の段階から、自然や他の生物などに象徴的な意味合いを込めて儀式的に洞窟の中にその像を描くことにより集団生活におけるなんらかの社会性を表現していたことを証明すると言えるだろう。

そのような貴重且つ重要な発見の映像を「アギーレ」「フィツカラルド」(この2本しか見ていない)などを手掛けたヘルツォークが自身の初めての3D映像作品として撮影されたのが表題の作品である。

僕は3D映像はディズニーランドや博物館などの短編映像作品ぐらいでしか見たことが無い。ホログラフィのように原理的に立体に見えるのではなく、いわば強制的に脳に錯覚させることで立体感を与える現在の3Dの仕組み自体に肯定的でない。

そういう点で若干不安を感じながら本来の公開予定期間が好評により延長されたお蔭で六本木ヒルズにあるTOHOシネマズで本作を見た。

あまり映画を頻繁に好んで見る方ではないこともあり、一旦映画館で見始めたらそれほど不満も感じずに最後まで見通すことが常なのだが、この映画に関しては映画冒頭、洞窟に入った直後から激しい不満と苛立ちを覚えた。

立体視できることにより洞窟内の壁の凹凸など自然の造形に応じて躍動的に描かれた動物の図が飛び出してくるのはまぁすごいが、それよりも限られた光量の中で3D化によって制約を受けてたのであろう解像度の粗さが気になって仕方がない。しかも狭い洞窟の通路で乱暴にパンされる手持ちカメラの映像はただのノイズにしか見えない。

また明るい屋外や研究室で撮影された高感度の映像も自然な立体感が持っている連続的な奥行きがなく、いわば動く書き割りを数レイヤー重ね合わせたようななんともシュールな画像であり、そこにリアルティもアクチュアリティも感じることができない。

ヘルツォークはこの貴重な文化的歴史的資源を後世に残すという大役を全く果たすことができなかったという点でその責は非常に大きいと映画が進むにつれ怒りといら立ちが膨れ上がって行った。これなら現時点で可能な限り高精細な(4K2K)解像度で記録すべきだったはずだ。

観終わった直後は周りの友人知人の何人かにかなり粗暴な言葉づかいで今記したようなことを毒吐いていた。

あまり3Dに失望したおかげで期待していたもう一本の話題作、ヴェンダースが撮ったピナ・バウシュのドキュメンタリも見る気が失せてしまった。

ところで、今回改めて記録を記すために本作の公式サイトを見たところ、5月に35㎜版での上映が告知されている。これはいったいどういうことなのか? 監督自身が3Dの限界を承知の上で興行的トリックを仕掛けたのだろうか?

それは35㎜版を見ない限りわからない(見てもわからないかもしれない)。しかし僕はやはり35㎜フィルムで撮られた映像を見たいのだ、残念ながら。

2011/12/10

2011.12.10 <美大CAMP> 「energyの問題とは何か」

武蔵美で催された<美大CAMP>に部分参加。初めて武蔵美に赴く。ココがハチクロの聖地かと感慨に耽る、こともない。

<美大CAMP>「energy」の問題とは何か (メモ)
配布物